2011-10-31

493 どうぞおかまいなく!? 02-11-2011(火)

 筆者がいつも朝コーヒーを飲みに行く小さなスタンドのBar(バル:酒も置いてある日本の喫茶みたいなもの)に通い続けて32年。春先から穏やかな表情の父子(息子)二人連れが来る様になりました。60歳と35歳位でしょうか。
 大概筆者と同じ様な時間に来て、先に来た方が読み終えた店備え付けの地元新聞を手渡すのがお約束みたいになっています。
 そんな中、先週の木曜日だったでしょうか。その日は父子が先に朝食を終えて、筆者に新聞を手渡して店を後にしました。筆者はその時ガラガラの店内で話すこともなかったので、深く考えもせずカウンターの中のマスターに『父と息子か?』と尋ねました。『奥さんはいないのかね? 毎日外で朝食を食べて・・・』とか言う会話になると筆者は何となく思っていましたが、即座に帰って来たにやけたマスターの毅然としたことばが忘れられません。
 カップルや!?

 自然自体があなたがたにこう教えていないでしょうか。-----或る昔の偉い人

 バカ負け一本~ん!? 『えっ!?』と言った後は返すことばのなかった筆者の負けでした。バカ負けとは圧勝の反対です。
 マスターによれば実は以前の常連客で、店内のタバコが嫌で何年間も来なかったのが、今年念頭からのタバコ禁止法令で今年戻って来たのだそうです。二人揃って!?
 考えてみれば自然に反すること、これが諸悪の根源だと言える諸悪に満ちた現代社会なのは日本もスペインも世界中どこでも理屈は同じなのかも知れません。 
 

467 嫁はんに逃げられたクラシックギタリストのその後!? 02-11-2011(火)

 相変わらずギター三昧の生活だそうです(先週のコルムナ)。聞いた話です。
 ギター以外何の興味も示さず、嫁はんに全部やってもらって据え膳上げ膳で当り前だと思い込んでいた男なので、これは想像がつきました。別れて一年以上経った今、金銭的生活はどうしているか知りませんし、筆者もそこまで他人のことを詮索する気もありません。
 確かにこれが日本社会なら通用しない男なのでしょうが、ある意味ギターが上手けりゃそれでいいじゃないかと、ギターを爪弾く者として筆者も気持ちは分かります。下手ならともかく、何せアランフェス協奏曲を弾く腕前なのですから、これはやはりギターの世界では立派なマスターです。
 文句があるならアランフェス協奏曲3楽章弾き切ってから言え!!
 と本人は言う様な人間ではありませんが、それ以下の腕前のギター弾きはそう言われたら返すことばがありません。
 もっとも、ギターに興味のない人はそう言われたら頭に来るだけかも知れません。
 筆者はギターの上手い人は皆尊敬します。
 生前機械的な演奏だと言われることの多かったナルシソ・イエペス(↑)ですが、さすがに代名詞のアランフェス協奏曲は上手いですね。何より歌っています。演奏が活きています。統計に拠れば、20世紀世界で一番聴かれたスペインの曲だそうです。

2011-10-24

492 早くも降格赤ランブ点滅グラナダCF 25-10-2011(火)

 前シーズン末、ミスジャッジで昇格戦に勝って偉そうに1部リーグに上がった筆者の地元グラナダCFは今シーズン9試合消化して未だ勝ち点5で順位表下から3番目は堂々たる降格ゾーン。どうやら定位置になってしまった様です。
 先週土曜日は番付け下から2番目のSporting de Gijonと言うスペイン北部大西洋岸の都市のチーム。いくら敵地とは言え全くいいところなく2-0の完敗
 そして、10戦目は本日25日ホームで畏れ多くもBarcelonaFCとナイターで対戦。グラナダCFのファンさえ誰も勝つとは思っていないいじらしさ。もちろん、何点差で負けるかが賭けのポイントです。ボロ負けだけはやめて欲しいみたいです。

 もしどうしても誇る必要があるなら私は自分の弱さを誇りましょう。-----或る昔の偉い人 

 別に弱さを誇っているのではなく、贔屓チームの弱さに賭けて金儲けし様と言う魂胆はこの深遠なことばとは似て非なる究極の裏腹に過ぎないだけなのですが・・・。
 昨日の新聞によればグラナダ県全体の市町村で財源不足から相当数の公共工事がストップ。売れない新築がわんさか。文字通りバブって弾けてギリシャは人事じゃないのが現実だとすれば、サッカーの夢に現実逃避したくなるは泣きっ面に飴をもらって泣き止んだ赤子と同じかも知れません。
 今シーズンまた2部リーグAに落ちたらそれこそ悪夢の正夢ですが、10戦目とは言え、リーグはまだまだ先が長いのが今のところ救いです。サッカーで負けている分にはまだいいのかも・・・。

466 嫁はんに逃げられたクラシックギタリスト!? 25-10-2011(火)

 筆者の知り合いのクラシックギタリスト。以前は歩いて5分の近所だったので家に遊びに行ったりしていましたが、10年ほど前に嫁はんが郊外に一軒家を買って引っ越して以来、すっかり疎遠になっていました。この間偶然遭ったのが3、4回に電話で年に一度話すか話さない程度。
 腕はセミプロ級で、確かアランフェス協奏曲も弾き熟す腕前です。ただ、グラナダ市民のくせに世界の名曲アルハンブラの想い出を知らない連中が圧倒的大多数のこのグラナダ市で、フラメンコギターはともかく、クラシックギターで稼ぐのは無理だと本人も言う始末。
 そこで良く出来た嫁はんがしっかり働いて子供を育てて住宅ローンも払って、金銭面ではあれやこれやほとんど総てを切り盛り。その間旦那は僅かな生徒にレッスンして雀の涙の収入でギター三昧。
 芸術家にありがちな、良く言えば唯我独尊で、はっきり言えば無神経の非常識の自律神経失調症。それでも傍目から見れば嫁はんも嫌な顔することなく、上手く行っている筈でしたが・・・。
 先週共通の知り合いから『もう1年以上前に別居して、嫁はんは新しい男と住んどる!?』『え!?』『何や、知らんかったん!?』
 知らんかったですね。子供が大学生になって手が掛からなくなったのを機会にギター道楽の無収入の旦那に愛想を尽かした様です。そりゃ、他の男にも目が向くでしょうね。ちょうど20年の結婚生活だった様です。
 全国のギター愛好家の男性の皆さん。収入はあった方がいいです。

2011-10-17

491 仕事やっても仕事したがらないデモ 18-10-2011(火)

 今月初頭にアメリカで貧困者のデモがあったので、実はスペインでは5月15日とっくの昔にあったとコルムナしようと思っていたら(元祖はギリシャでしょうけど)、いつの間にか世界に拡がり、15日土曜日は東京台湾でも、そして、スペインを初めヨーロッパ各地にも波及。スペインでも全国60の都市で。そして、筆者の地元南スペイングラナダ市でも夕方からデモがありました。
 筆者は醒めた目で見ていましたが、それでも『以前はフランコ!! 今は銀行!!』のコールは面白いなと思いながら聞いていました。以前は独裁者フランコに支配されたスペイン国民も今は銀行に支配されていると言う意味ですが、ファシズムから資本主義へ移行した近代スペインの歴史そのものを見事に大便しているだけのブラックジョークじゃないですか?
 要するに被支配者層が支配者層に反旗を翻している図式です。確かに世界的不景気で仕事のない一般庶民は大変ですし、それが今回の表向きのデモの大義名分ですが、筆者の予想通りデモ隊の内の相当数はヒッピーかその同類項風情。つまり、仕事があっても意地でも仕事をしたくない連中が仕事をくれとデモで騒いでいる訳です。
 そう言えば昔読んだ筆者より一世代上のアメリカ人の体験談を思い出しました。青年期にベトナム戦争反対のデモに参加したところ、結局酒や麻薬に浸り切った参加者のモラルの低さはベトナム戦争以下だったそうです。この図式もまた40年経った今も大して変わっちゃいないのでしょう。

 人が変わらなければ社会は変わらない。-----或る昔の偉い人

 じゃあ、仕事が万人に行き渡ってそこそこの生活が出来たら社会は良くなるのか?
 政治でもなく、社会保障制度でもなく、人こそが変わらなければ社会は決して変わることはないとすれば、社会はその構成員一人一人の人間の質ほどに良くも悪くも変わって行くだけの話。単純明快な理屈です。
 デモで騒いで社会が良く変わるんだったら、ある意味人間社会はとっくの昔に良くなっている筈ですが、有史以来この方人間様はたまにはいいこともやるが、総じてアホなことが過半数の歴史を繰り返して来たその結果は結局気合の入ってない垂れ下がった蚊取り線香みたいな負のスパイラルの一途ではなかったでしょうか?
 そして、落ちるところまで落ちたその時、何か世界的な良くないことが起きる・・・。そんな前夜に我々は生きているのかも知れません。そんなことを予表させる今回のデモなんでしょうかね?

465 脇が甘いギター 18-10-2011(火)

 筆者は昔からどうも左手の指先の弦を押さえる時の安定感が今一だと感じます。おまけに左手が今一なら、それはどうしても右手にまで回り回って影響して来ます。
 そんな折、先々週のある日ギターを弾いていると、前触れもなくスポーツ用語の脇を締めるなることばが急に頭を過ぎりました。
 主に格闘技用語かも知れませんが、野球のバッティングにも十分通じそうですね。
 そこで筆者が未だかつて気にしたこともなかった左脇を文字通り締めてみました。そうすると指先の安定感が微妙に増したのが実感出来ました。
 おそらく左脇を締めて左上腕内側が胴体に接触したおかげで左腕全体が安定し、おかげで末端の指先まで安定感を増したのだと思われます。
 あと、筆者は元々弦を押さえてヘッド方向に指をやや寝かせるタイプですので、左脇を締めることによって更にこの動きをバックアップしたとも言えるでしょう。
 もっとも、そうではない弦の押さえ方の奏者もたくさんいるでしょうからこれは一概には言えませんし、筆者のあくまで個人的な体験かも知れません。
 ただ、左手の指に今一安定感を欠く読者がいれば、一度試してみると意外と開眼することかも知れませんね。

2011-10-10

490 未婚の母3倍増 11-10-2011(火)

 一昨日のニュースに拠れば、この10年間でグラナダ県の未婚の母の出産は3倍に膨れ上がったそうです。もちろん、全国的にも全く同じ傾向だそうですが、凄まじい数字ですね。
 もっとも、内容はいわゆる未婚の母で両親と同居、NGOに住居を割り当ててもらった未婚の母、実際は子供の父親と同居しているのに住民票は両親の家のままで公的援助を受け続けている狡賢い事実婚の母親など、未婚の母とは言え状況は様々とのこと。
 皆それぞれ表面的な理由はあるのでしょうが、根底にあるのは結婚と言う概念が近年極めて希薄になったこと、それは取りも直さず人間様自体の軽薄化の表れに他なりません。

 貧しい者を貧しいと言う理由だけで弁護してはならない。-----或る昔の偉い人

 日本人はある意味軽薄な判官贔屓な民族かも知れません。今週のこのことばはウル覚えで文字通りではありませんが、安易な判官贔屓は正義を曲げるにさえ至ることへの警鐘です。
 結婚せず同棲なんか当り前どころか、貞操概念など既に死語なのは特に若い連中がそうですが、それが別れたから助けてくれ!? 一方的に安易過ぎるんじゃないですか? 子持ちだから助けた方がいいに決まってますけど。 
 助けた方がいいに決まってますけど、総ては無責任感の産物の事後処理の援助に過ぎません。責任感で未然に防ぐ方が遥かに知恵じゃないですか?
 確かにこう言う場合男性より女性がよりバカを見る訳ですが、何と言っても片親だけの子供が一番の被害者です。これが国際離婚ならもっとそうです。

464 小さな音で弾けと教える先生(4) 11-10-2011(火)

 筆者は日本人旅行者をサクロモンテの洞窟フラメンコに送るために、ほぼ毎晩送迎車との待ち合わせ場所のヌエバ広場に行きます。
 旧市街の中心地で、飲食店以外の店を見つける方が難しいほど賑やかな場所です。
 その中の広場に面した一軒のレストランの入口にギター弾き語りのおじさんがいます。客寄せの意味合いもあってか、通りに面した店の入口でやっていますので様子は伺えますが、先日故意に近くまで寄って聞いてみました。まず何より耳に衝くのがマイクの質の悪さです。雑音がしている訳ではないのですが、明らかに木の音ではない音がします。(2)で筆者自身が書いたコルムナの潜在意識があったためかも知れませんが、やはり、マイクを通すと音の色気が削がれるなと実感しました。
 と言うことはマイクは極力使わず、ギターは生音で聞かせる故マヌエル・カーノ先生のスタイルが正解だと言うことになります。マイクの質にも拠るでしょうが・・・。
 そして、マイクは極力使わず、客席の奥までギターの生音を聞かせるためには、やはり、音はデカくなければなりません。
 常時小さな音で弾くなど論外じゃないですか。 

2011-10-03

489 スカートが短いからクビ!? 04-10-2011(火)

 これは10日前のグラナダ市の年に一度の村祭りの様子です。スペイン中の市町村では年に一度、普段は酒タバコギャンブル女、何でもやる連中が急に信者になって檀家のカトリック教会から御神体を神輿にして担ぎ出して、最後は酒を飲んでお開き。翌日からはただの人。理屈は日本の村祭りと寸分違(たが)いません。
 現実は祭りの日ではなく、翌日からなんですけどね・・・。
 さて、今年はちょっとした事件がありました。別の新聞のこの神輿の写真の正面の女性の顔がボカしてあります。犯人なのでしょうか?
 この女性はこのスカートの丈が短過ぎて神輿に帯同するのに相応しくないと追放されたそうです。
 普段は風紀もへったくれもない日常生活の連中がほとんどなのに、祭りになると風紀部みたいなこと言い出すんだなと思わず思ってしまいましたが、そこで賛否両論がどうのこうのと言う新聞記事などこの際どうでもいいのです。

 美しいがたしなみのない女は金の輪が豚の鼻にある様だ。-----或る昔の偉い人

 この写真のスカートの丈など超長過ぎると感じるほど、筆者が3年に一度帰国する度目にする日本の女子高生の滅茶苦茶短い制服のスカート。
 これじゃあ日本はスケベ教師やエロ巡査が後を絶たないはずだよなとつい思ってしまいましたが、あれもこれも外見重視内容度外視の軽薄文化の温床から萌え出づる副作用の痙攣(けいれん)の場合が多いんじゃないでしょうか?
 痙攣が気持ちいい内はたしなみがない証拠だったりすれば、これはふと我に返って自らを吟味する価値ありかも知れません。

463 小さな音で弾けと教える先生( 3) 04-10-2011(火)

 確かに演奏に小さな音は必要ですが、その要は小さな音の内容です、密度です。
 密度のある小さな音を出せる人なら大きな音も出せるでしょう。
 しかし、か細い密度のない小さな音をきれいな音と勘違いしている人はいざと言う時大きな音は出せません。
 そう言えば昔チェロのプロの話を聞いたことがあります。『いい楽器はppからffまで応えてくれる』そうです。『そうでない楽器はいざffが欲しいと思った肝心な時に出てくれない』そうです。
 なるほど、プロの感性の中にはppからffまでの幅があるのですね。当り前と言えば当り前ですが、いざ演奏しながらpp~p~mp~f~mf~ffを使い分けるには本人が本人の中に音量計を兼ね備えていなければなりません。凡人には難しいですね。
 だったら、スカ(くじのハズレと言う意味!?)みたいな小さな音だけの演奏など論外じゃないですか? ただ、日本人にはこう言う弾き方のギター愛好家が多いのです。完全な反面教師なんですがね。