2009-03-30

364 ひまわりの150倍 31-03-2009(火)

 先日筆者の知り合いが亡くなった。享年65歳。ちょっと早過ぎた感は否めない。
 恋愛結婚した当時は公務員。独立志向の強い人で、ほどなく自ら公務員を辞めて自営業で独立。もう40年以上前の話だが、今流に言えば脱サラ起業の成功例だったのだろう。結婚した長男が後を継ぎ、財産も残し、家も新築し、経営も順調な矢先に末期ガン発見。孫がいたかどうか筆者は知らない。
 良くある話と言えばそれまでのことだが、筆者も結構付き合いのあった人なので、筆者自身こうしてコルムナを書きながらも残念である。
 こんな時、自然と筆者には以前自ら書いたスペインのひまわりのコルムナが思い出されて来る(コルムナ9&10)。

 一粒の麦地に落ちて死なずば唯一つにてあらん。死なば多くの実を結ぶべし。-----或る昔の偉い人

 ひまわりの一生が半年。人生が75年とすれば、人の一生はひまわりの周期の150倍遅く移り変わっているだけで、実はその大まかな過程に大差はありません。150倍遅い分だけ人はその人生のはかなさに気付かないのです。筆者はつくづくそう思います。この様な人の死に際しては特にそう思います。
 だからこそ、一粒のひまわりの種を後生大事に死なせず、面白おかしく自分とせいぜい家族のためだけに生きるのか。一粒のひまわりの種が地中に死ぬからこそ何十倍の実を隣人のために生ずるのか・・・。
 多くの場合自らの信念や確信が実は見てくれのいい自我だったと言うことは大いにあり得る話でしょう。いえ、確かに誰でも自我より他人の利益を優先するなどそう簡単に出来ることではありません。確かに難しい問題です。しかし、これが実を結ぶか結ばないかの分岐点であることを知ることは有意義なことです。
 どんな人でも初七日位までは悪くは言われないでしょう。しかし、人の本当の真価はある意味存命中より死後の評価だとも言えます。生前に咲かせた花ではなく、一粒の種子として死んだ後の実に拠ってです。
 読者も一度スペインの夏の風物詩2つを観に来て下さい。辺り一面のひまわり畑、そして、半袖から何で脚がと一瞬見間違えるスペインのおばさんの逞しい上腕!?

338 良い単板ギタ-は素材で量産か手工か(4) 31-03-2009(火)

 それでもギタ-は木工の生物ですから出来不出来はあります。それは自然乾燥の木材を用いた手工ギタ-でも同じこと。日本でも有名なあるスペイン人製作家は一度に4本製作して出来のいい2本とそうでもない2本に分け、それぞれ一本ずつ計2本を日本に送るとか・・・。
 確かに名工も何本に一本かは外れで、無名工でも量産ギタ-でも何本に一本かは当りが出ます。それを見極めることもまたギタ-選択の面白さと言えます。
 そして、比較すれば確かにハズレの手工ギタ-に勝る当りの量産ギタ-もあるでしょう。
 しかし、どんな当りの量産ギタ-でも手工ギタ-に音質と音色で今一劣ります。それは余りに今一であるが故にある人には知覚し難く、また、ある人には歴然とした今一かも知れません。
 たかが今一、されど今一。しかし、この今一は、素材がそれぞれ機械乾燥と自然乾燥の木材である以上、永遠に詰めることの出来ない今一であると筆者は思います。
 やはり、自然が一番、自然のものには人工的に手を加えないのが一番です。やはり、量産ギタ-より手工ギタ-なのです。音色も価格も!?
 

2009-03-23

363 シロと名犬ラッシ-とトラちゃん猫雑誌デビュ- 24-03-2009(火)

 昔からの読者はご存知かと思うが、日本語情報センタ-には猫が5匹住み付いている。憐れみ深い筆者が拾ったり、貰ってくれと泣き付かれたりしていつの間にかこんなになってしまったのだが、10日前に近所でもう一匹拾ってしまったのだ。白と灰色の二色柄なので黄緑ちゃんと命名。計6匹。
 細身で細面の女の子の割りには性格が極めてキツイ。先輩5匹を寄せ付けず、ご飯を独り占めして本気で威嚇して本気で爪を出すので、大人しい先輩5匹の方が隅の方に隠れて様子を伺う始末。新入りのくせに態度が極めてデカイ。しかも、威嚇モ-ドに入ると訳が分からなくなるらしく、仲裁に入る筆者の手にも思い切り噛み付いて引っ掻く。おかげで両手は生傷だらけ。
 その上、黄緑ちゃんはディフェンスだけでなく、自ら進んで先輩5匹を無差別攻撃。ますます、錯乱状態に陥れば、筆者の手もますます血だらけ。これが毎日。
 一週間経っても収まる様子がなかったので、先日筆者に噛み付いた時に手加減なしに思い切りスリッパで頭をしばいてやった。これが利いたらしく、それ以来やっと遠慮がちになった。

 人はその栄華の中にあっても悟りがなければ滅び失せる獣に等しい-----或る昔の偉い人

 気が強くてすぐに口答えするばかりか、決して謝ることをしない凶暴なスペイン人女性を思わず思い出してしまいました。筆者の知り合いの50前のおばさんなど、小さい頃親父から誰にも絶対謝るなと教えられたそうです(ど~言うしつけだ!?)。これがこの国では決して例外でも漫才でも何でもないのですから、この国の離婚率7割も偶然どころか必然なのでしょう。どやしつければ大人しくなるだけ猫の方がましです(注:筆者の個人的経験でも何でもない!?)。
 さて、うちの古株黒猫のシロと名犬ラッシ-とトラちゃんが猫びよりと言う日本の猫雑誌でデビュ-(2009年3月号)。筆者やセンタ-内の写真も載っています。書店で取り寄せ可能。
 そして、母校は一回戦突破。いや~、楽に勝たせてはもらえませんね。2年前は応援に戻りましたが(コルムナ261~264)、今年はアルバイトしてくれる人がいません。インタ-ネット無料配信で我慢しましょう。

337 良い単板ギタ-は素材で量産か手工か(3) 24-03-2009(火)

 さて、余り難しい話になるのはスペイン週間ギタ-コルムナの主旨ではありません(先週&先々週のコルムナ)。要するに・・・。

 誰でもギタ-を弾く(買う)なら良い音色のギタ-の方がいいに決まっている。
 音色とは音量ではなく音質のこと。単に音量だけなら今日手工ギタ-も量産ギタ-も大差はない。
 従って、音色の違いの分からない人は、少なくとも最初は量産ギタ-で十分(だが、合板ではなく単板ギタ-が望ましい)。
 少しでも音色の違いの分かる人は量産より手工ギタ-を目指すべき。
 この量産ギタ-と手工ギタ-の音量ではなく音質(音色)の違いはギタ-の構造上の問題ではなく、使用木材が機械乾燥か自然乾燥かによるところが大きい。
 つまり、少々木工としてフィニッシュが今一でも自然乾燥木材なら良い音色のギタ-となり、どんなに見た目は良くとも機械乾燥木材なら音色は今一となる。
 これがそのまま手工ギタ-と量産ギタ-の音色の差の一番の根本原因と言える。
(付)仮にどんな名工でも機械乾燥の木材で逸品を作ったところで良い音色のギタ-は出来ない。


 ならば手工ギタ-をと言いたいところですが、国産手工ギタ-は50万円以上、スペイン製手工ギタ-は今日100万以上が日本の国内相場と見受けます。
 確かに予算となればまた別次元の問題ですね。ただ、このところの主題の〝良い(単板)ギタ-〟の音色のランク付けは当然『手工>量産』であり、それは使用木材が自然乾燥か機械乾燥かに拠るところが大きいと言うことを現時点では心に留めておいて下さい。

2009-03-16

362 リコンファ-ムを忘れたら・・・ 17-03-2009(火)

 先週日本領事館の年に一度の出張領事が日本語情報センタ-横のホテルであり、合間を縫って新任の副領事の方が表敬訪問にやって来た。グラナダ及び周辺在住日本人のパスポ-ト更新などの業務である。
 聞けば最近日本人とスペイン人夫婦の離婚が急増しているとか。もちろん、スペイン人男性と日本人女性の組み合わせである。もちろんと言うのは、今日海外留学とは名ばかりの日本でOLが嫌になって現実逃避で羽を伸ばしに海外に行く日本人女性の方が男性より圧倒的に多いと相場が決まっているからだ。ワ-キングホリデ-も青年海外協力隊も似たり寄ったり。
 元々動機が軽いので結婚まで軽くなる。軽く声を掛ける軽い相手と類は友を呼ぶ宿命で軽く国際結婚に至る。国際結婚と言えば最初は格好いいかも知れないが、そもそも軽く始まったことが重く終わるはずがないのは天の摂理でもある。天の摂理が読めなければ、皆身勝手にそんなもんあるかと天に唾を吐いて自らの顔に落ちて来るのみ。

 塔を築こうとする時、まず座って完成に十分な金があるかどうかその費用を計算しないものがいるでしょうか。基礎を築いただけで完成出来なければ、見ていた人は皆嘲笑って『この人は建て始めはしたものの完成出来なかった。』と言うでしょう。-----或る昔の偉い人

 正に離婚夫婦のためのことばみたいですね。副領事の言うには最近別れた日本人女性が子供を連れて日本の実家に逃げ帰り、スペイン人の旦那があるテレビ番組で子供を返せとか全国に恥を晒したとか・・・。そんなんだったら最初から結婚なんかするなちゅうの。子供が可愛そうですし、後始末をさせられる日本大使館や領事館もいい迷惑でしょう(と副領事さんは言いませんでしたが)。
 天の摂理は愛、それも隣人愛です。良く日本語で子供を愛の結晶とか言いますが、愛ではなく身勝手な発情期の結晶なら似て非なるものです。子供も別れた両親も双方の爺さん婆さんにとっても悲劇です。お互い再婚して誰がパパかママか分からなくなればもっと悲劇です。
 金も愛情も家庭計画も、まず座って完成に十分な金があるかどうかその費用を計算してからでも遅くはありません。でなければ100年に一度の経済危機で人生差し押さえです。

 

336 良い単板ギタ-は素材で量産か手工か(2) 17-03-2009(火)

 どんな製造業でも素材が今一なら、どんなに工法自体が優れていても品質に影響するのは共通でしょう。
 量産ギタ-も手工ギタ-も工法自体は今日素人なら見分けが付かない位です。いえ、フィニッシュだけなら几帳面な国民性を反映して国産が世界一かも知れませんし、その点正直いい加減な国民性のスペイン人の作るスペイン製ギタ-は量産も手工も、ことフィニッシュに関しては国産に劣る場合が大半だと言えます。スペインギタ-振興を旗印に掲げる筆者がそう思うのですから、やはり、スペイン人はいい加減であり、日本人は几帳面です。 
 しかし、それがそのまま音質の優劣に正比例するどころか、コルムナ332でご紹介したアントニオ・アリサの様な全く反比例の場合もあるところがギタ-選択の面白さでもあります。
 読者も店員さんやギタ-仲間に言われるままではなく、もっとギタ-について独自の意見と好みを持てばギタ-人生もっと面白くなって来ます。
 さて、素材の良し悪しは、この場合木材が天然乾燥か機械乾燥かだけに限って言えば、むしろこれがギタ-の音質を左右する最大因子だとさえ言えます。つまり、少々作りは雑でも使用木材が自然乾燥なら良い音色のギタ-となり、どんなに見た目や木工として完璧でも機械乾燥なら音量はともかく音色(音質)は今一色気を欠くと言えます。
 その今一がある奏者にとっては小さな、しかし、またある奏者にとっては大きな違いでもあります。
 たかが今一、されど今一。たかが今一なら手工ギタ-に大枚叩く気にはならないでしょう。しかし、大枚叩くかどうかは別にして、この今一の違いがされど今一になった方がギタ-人生お得です。
 この今一が分からないのに大枚叩くのも情けない話ですし、分からない人に大枚叩かせ様と躍起になる連中も情けない連中です。歌心豊かな人ならこんな現金な行いには出ないでしょう。結局良いギタ-を見極めるのも、ギタ-の販売も、究極のところ歌心の豊かさか欠如かに大きく左右されます。

2009-03-09

361 スペインで聞く30年後のハバロフスク 10-03-2009(火)

 昨年ウラジオストックとハバロフスクを訪れたと言う日本人旅行者が先週やって来た。筆者は最初スペインに来る際、横浜から船でナホトカに着き、後は総てシベリア鉄道でハバロフスク、イルク-ツク、モスクワとシベリア鉄道で横断し、更に総て鉄道でウィ-ンに抜けて、オ-ストリア、スイス、西ドイツ、フランス経由でバルセロ-ナからスペインに入った。あれから今年でもう30年になる。
 今思えば旧ソ連時代を垣間見れて良かったと思うが、当時外人旅行者は街を歩けば、共産主義で頭も体も幽閉状態だったロシア人からガム(ソ連製は砂糖が少なくまずい)やジ-パンや電卓をせがまれたものだ。筆者もハバロフスク市内でロシア人男性に声を掛けられ、その夜余分に持って来ていた腕時計を安く売ったことがある。外人用のホテルの中でもやたら軍人が目に付いた。人目に付かない様ちょっと離れた所まで行って受け渡したのだが、向こうのつたない英語に拠れば、外人とのこうした取引はご法度だとのこと。
 因みに筆者はこのハバロフスク国鉄駅前で記念すべき海外で初めての買物をしている。10コペイカ(ル-ブルの下の貨幣)のアイスクリ-ムは当時の換算で約33円。4月17日で結構寒かったにも係わらず屋台は大繁盛だった。思想統制下で娯楽のないロシア市民にはこんなものさえ大きな楽しみの一つだったのだろう。
 この日本人旅行者に拠ればそのハバロフスクは現在モダンな都市に生まれ変わり、街には日本の中古車が溢れていると言う。
 これを聞いて筆者は2度行ったが3度目は行きたくもないモロッコの街に旧式ベンツが溢れていたのを思い出した。今はどうか知らないが、スペイン軍にもアメリカ軍の払い下げのジ-プとかかなりあると昔聞いたことがある。

 人の益を計り、良い行いに富み、惜しまずに施し、喜んで分け与えよ。-----或る昔の偉い人

 な~んかこれこそ共産主義の真髄みたいな美辞麗句ですが、美辞麗句の厚化粧の正反対をやってしまったのは共産主義も大東亜共栄圏も同じかも知れません。
 筆者は長男故に次男三男のお下がりの経験はありませんが、例えお下がりでも資本主義社会なら金を払えと言うことになります。まだまだ使える中古車なら廃車にするのはもったいないですが、どうせなら第三世界の連中に売りつけ様・・・。これは資本主義社会では至極当たり前の話。
 『金さえあればこんな苦労はしないのに・・・』とは誰でも思うところですが、それは資本主義的発想のボヤキだとも言えます。筆者は『金(の存在)さえなければこんな苦労はしないのに・・・』と思う方ですが、これはある意味共産主義的発想と言えなくはありません。
 対極の様ですが、本当に人の益を計る気持ちがあれば、それは金銭システムであろうがなかろうが事の本質ではないはずです。
 人間様が自己中で、強欲で、妬み深い以上、世の中が良くなるはずがありません。それが最も顕著に表れるのが各自の金銭に対する扱いかも知れません。
 そう言えば、グラナダ市郊外の農村にウクライナの出稼ぎ労働者がいるとごく最近聞きました。中国同様半資本主義体制のロシア社会もろくなことになってはいないのでしょう。
 

335 良い単板ギタ-は素材で量産か手工か(1) 10-03-2009(火)

 養殖魚ではどんなに頑張っても自然に取れた魚の刺身には勝てません。魚を刺身に捌く板前さんの技術のあるなしではなく、魚と言う食材の素材の問題です。どんなベテランでも養殖魚なら自ずと限界があります。食通なら舌触りが違います。
 同様にギタ-も素材が決定的にその出来を左右してしまうと言ってもいいのが量産ギタ-と手工ギタ-の違いです。工法に大差はなくても味を決定してしまいかねません。
 個人製作家の工房では最低10年寝かした木材を使用しますが、量産工場ではそんなに待っていられません。安物家具同様機械で無理矢理乾燥させます。この機械乾燥の工程で自然の良さが失われます。
 木材には人間の肌と同じく気孔があり、この中の樹液が乾燥するほど音の通りが良くなります。それを自然に10年以上待つか、機械で搾り出すかの違いがそのまま手工ギタ-と量産ギタ-の工法や構造ではなく、音質の違いとなってある人の耳には微妙に、またある人の耳には鮮やかに聞こえます。音量ではなく音質、音色の問題です。

2009-03-02

360 ボクちゃん悪くないもん 03-03-2009(火)

 日本もスペインも不況は厳しさを増すばかり。そんな中、先日の新聞に発表されたスペイン人の意識調査。
 問い(1)・・・一年前不況はないと言っていた社会党政権について
 55.8%:どうせ選挙対策で本当のこと言わなかったんだろう 26.7%:知ってはいたが、ここまで悪化するとは読めなかったんだろう 11.9%:一年前不況はなかった 6.2%:その他
 問い(2)・・・今回の不況は誰のせいか?
 24.6%:社会党政権 19.3%:建設不動産業界 18.9%:ヨ-ロッパ銀行の対応のまずさ 18%:世界情勢 13.8%:これら総てを含む様々な要因
 (1)はともかく、総て他人が悪くて自らの非には言及どころか全く気付きもしない(2)は絵に描いた自己中の権化みたいなスペイン人らしい鮮やかな回答だ。いい気になって銀行から金を借りて不動産に投資して、カ-ドで物を買い捲って、遂に抵当を取られそうになった自分が悪いなどとは頭を微塵も掠めずおめでたい。おめでとう。
 それにしても、最近確かにデモが多い。総てのデモ隊は日本語情報センタ-横の市役所前広場に集結するのでなお更耳障りだが、皆仕事や賃上げなど権利を主張するばかりで、しかも喧嘩腰だ。あれでは雇用者側とて態度を硬化させたくもなるし、第一お決まりの『市長、出て来い!!』と言ったところで、市長さんは何の係わりもない場合がほとんどなのである。

 岩の上に土台を据えることをせず、自分の知識や思想や働きや富に頼っている者は砂上の家の様に、人の目にはいかに美しく、また堅固に見えても危険である。-----或る昔の偉い人

 人差し指で人を指差せば、同時に残り3本の指で自らを指していることにどれほどの人が気付いているだろうか~とは昔どこかで聞いた話ですが、なるほど手の平を返してみれば分かります。しかし、手の平を返してみなければ分かりません。確かに相手を人差し指刺すことだけに専心していれば、手の平して反省することもなど思い付きもしないのがバカな人間様でしょう。
 確かに誰でも金に困ればデモやストや陳情に訴えたくなるのも分かります。しかし、広い意味で求めるものが自らの保身と自らの利なら、それは岩なる堅固な土台の上に建て上げた家とは言えません。事実世界は自分の知識や思想や働きや富に頼って建てたつもりの御殿が砂の土台から土砂崩れて100年に一度の金融経済危機を迎えているとすれば、この土台を岩に据え換えない限り人類は自己中と言う同じ石に何度も何度も躓いて同じ歴史を繰り返すだけです。こう言うのを七転び八起きとは言わないでしょう。七転八倒だったりして!?

334 良い単板ギタ-は量産か手工か(3) 03-03-2009(火)

 しかし、どこか違います(先週のコルムナ)。どこでしょうか? 何でしょうか? 量産ギタ-と手工ギタ-の違いとは何でしょうか?
 当たり前のことですが、筆者はギタ-を買おうとする人には自ら弾いてもらい、そして、筆者もまた弾いて音を聴き比べてもらいます。たまに筆者が量産ギタ-と手工ギタ-を弾いて聴き比べて違いが分からず『さあ~!?』と言う人もいますが、それはそれで結構です。インスタントラ-メンと手打ちラ-メンを試食して同じだと感じたのなら、手打ちラ-メンに高い金を払うこともありません。商業主義の日本の楽器屋さんならともかく、筆者なら間違いなくそう勧めます。将来食べ歩けば味覚も肥えてまた違った意見を持つこともあるとすれば、それはその時また考え直せばいいことであって、その時に無理に勧めるものではありません。
 筆者は27、8年前にある音楽院の生徒のギタ-発表会を聴きに行きました。その時はさすがは~先生の門下だけあって上手いなとしか思いませんでしたが、何年か後にもう一度聴くとえらく下手に聴こえました。ある第三者の人の意見も同じで、『そりゃあ、君の耳が肥えたからだよ』と言われました。
 人の演奏評価も、ギタ-の選択も、肥やして肥えて行くのがむしろ当たり前です。また、そうでなければ進歩はないとも言えます。
 木工としては大差はない手工ギタ-と量産ギタ-の味の違いは素材にあります(続く)。