2009-08-03

382 頑張れスペインの少年サッカー 04-08-2009(火)

 先週グラナダに20年住んでいると言うハ-フの男性と知り合った。もちろん、日本語はペラペラ。地元少年サッカ-の監督をやっていると言う。それだけではやって行ける訳がないので、何か別の仕事をしていそうだとは思ったが、初対面なのでそこまでは筆者も訊かなかった。
 曰く、試合に負けたら親達は疑いもなく監督のせいにするそうだ。日本の読者はそう言われると何じゃそりゃと驚くかも知れないが、日本人から見れば宇宙人かと思えるほどのスペイン人の身勝手さが何たるかを良く知っている筆者には全く想定内の習性だ。いや、むしろこんな些細なことなど涼しい顔でやってもらわなければスペイン週間コルムナもネタが尽きる。
 そして、子供もまた親の鏡。単に勝った負けたを競うのがサッカ-だと思っているそうだ。これもまた想定内。
 そう言えば、戦後アメリカに渡って苦労した空手の故大山師範がアメリカでは勝つか負けるか、強くなければ話にならないとか書いていたのを思い出す。また、名前は忘れたが、別の武道家によれば、日本では特に学生スポ-ツなどで負けたけど良く頑張ったなどと言われるが、アメリカでは敗者は振り向きもされないそうである。
 時代背景が戦後ならましてやそうだったのだろうが、それはアメリカのみならず、現代社会でも大いにそうである、つまり、我々は結果偏重至上主義社会に住んでいるとも言える。
 例えば、三流大学より一流大学卒の方が良く見られるし、営業成績の良い社員の方が出世する・・・。
 当たり前と言えば当たり前だが、それは一言に要約すれば質より量の価値観だと言えなくはない。

 あなたの先祖が立てた昔からの地境を移してはならない。-----或る昔の偉い

 確かに50点より80点の方が純粋ににおいて勝りますが、一生懸命努力した挙句の50点と、出来る故に努力せずに取った80点の2人の学生。を競う試合に勝って、努力を怠らざるべき人間のにおける勝負に負けたのは80点の生徒と言う見方は出来ないでしょうか? 
 アメリカ人はともかく、こう言うと火星人の戯言を聞いたかの如きスペイン人なのは冒頭の通りですが、しかし、日本人の心にはまだ理解出来る糊代が残っていると思います。
 量より質とは敗者への思いやり、敗者の美学と言い換えることが出来るかも知れません。ただし、一生懸命頑張った敗者だけの美学と言うべきであって、自らの怠惰や不道徳の結果敗者となってしまったのなら、それは単に身から出た錆の反面教師に過ぎません。
 何でも昔の方が良かったと言う訳でも何でもありませんが、やはり、現代は思いやりの欠けた社会です。それは社会が悪いのではなく、社会の構成員である人間様に思いやりが欠け、徐々に単なる哺乳類のヒト科に成り下がっているからに他なりません。
 やはり、量より質。先祖の時代から言い古されたことばですが、この思いやりの地境を愚かにも質より量に移せば、やはり、ロクな世相とはなりません。
 スポ-ツが単なる点数を競うだけのゲ-ムとなる時、やはり、筆者は肝心要の何かが欠けていると実感せざるを得ません。
 思えば簡単なことです。量より質の思いやりを欠いた質より量の身勝手社会が美しい日本になる訳がないのです。

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