2009-07-20

380 スペイン人も口あんぐり 21-07-2009(火)

 スペイン語でgeneroso&permisivo(寛大な&許容的な)。英語ではgenerous&permissiveだろう。前者はスペイン語で寛大さ、後者は駄々をこねる子供に迷わず何でも買い与えるバカな親の形容によく使われることばである。似た様なことばで意味は正反対だが、筆者は何故か最近この2つのことばが頭に浮かぶ今日この頃とか思っていると・・・。
 日本のどこかの高校である受験生が髪を染めていたため落とされたのが訴訟になりどうのこうのと以前センタ-にやって来た人に聞いたことがある。その後どうなったのかは知らないが、そんなんだったら、ピアスでも入墨でも何でも言いがかりを付ける材料は今日いくらでもあるだろう。
 もっとも、今日のスペインではどんな格好だろうが学校は愚か、耳輪に鼻輪に入墨で何の問題もない職場が大半である。そんなことギャ-ギャ-言う方が外見で人を捌く心の狭い人間と見なされる寛容な社会なの・・・か!? オカマ同権&差別撤廃も以下同文(コルムナ305378)。
 これに比べれば後発の日本は明らかに遅れを取ってはいるが、追いかけていることに違いはないことが重篤な問題だ。永遠に追い着いて欲しくはないが、ご覧の様に日本に追い着かれるほどスペインも甘くはない。
 我々が子供の頃校則にうるさかった当時の先生達も今は定年前の大ベテラン。今どんな顔で髪を染めた生徒に校則を説いているのか知りたいものだ。
 価値観の相違とはある意味絶対的価値観を持たない、価値観のグラついている連中が質問をはぐらかす逃げのことばである場合が多い。確かに人間の価値観は年月と共に変わる。しかし、それはマンガが総てだった子供の価値観が小説に昇華される様な場合、つまり、進歩故に変わる価値観ならいいが、退化する価値観なら、それはテクノロジ-だけいたずらに進化して本人は退化する現代人の本性に見事に比例しているに過ぎない。
 そんな事件が先週グラナダ県の北隣コルドバ県のある田舎町であった。
 少々の凶悪事件では驚きもしなくなったスペイン現代凶悪社会に久々に議論を巻き起こしたのは未成年、いや子供6人。
 13歳の女の子が同年代5人の男子生徒に市営プ-ルの更衣室で白昼堂々と犯され3日後に発見された。犯人の未成年は年齢制限に引っ掛かりほどなく釈放。被害者は毎日悪夢にうなされているとの母親の怒りのコメント。
 少年院には行くのだろうが、新聞記事に拠れば5人の内1人と被害者は付き合っていたことがあり、2人で変態ビデオを撮り合った仲だったとか。後は電車道。
 とすれば、悪いのは犯人だけと言うのは刑法の事後処理だけの話。たった中一の可愛い娘の交友関係に寛大過ぎて何も言わなかった保護者の母親にも責任はある。しかも、各メディアにいつもこの母親だけで父親が一切出て来ないのも、おそらく離婚家庭で娘は野放し状態だったのではないかと推察出来ないこともない。

 ああ、悪を善、善を悪と言っている者達。彼らは闇を光、光を闇とし、苦味を甘味、甘味を苦味としている。-----或る昔の偉い人

 やはり、現代社会は巨大な精神病院なのです。気違い同士馴れ合いの友情や民主主義で悪を善、善を悪、闇を光、光を闇、苦味を甘み、甘みを苦味とじゃれ合っている内はまだしも、やはり、気違いは気違い沙汰を起こす運命にあるのです。いえ、巻き込まれてからでは遅過ぎる今回の様な気違い沙汰もあるのです。
 ここは潔く巨大な精神病院を出て、高台から巨大な精神病院を見下ろしている方が無難です。こう言う下々の見下ろし方は傲慢とは言いません。命に直結する生活の知恵です。
 ただ、善は善、悪は悪、光は光、闇は闇、甘みは甘み、苦味は苦味、日本人は黒髪と、あるがままをあるがままに尊重すればいいだけの話。ある意味極めて簡単なことです。ただ、巨大な精神病院内では気違いが気違い沙汰を起こし、しかも、過半数の強みで雄叫びを挙げて正義のガッツポーズ!? 人間とことん極めてしまえば、後はもう付ける薬はないのかも知れません。それが13歳のガキどもであることが今回の悲劇に重油を注いでいます。
 例によって政治家達が少年の刑法適応年齢引き下げを国会で討論するのどうのこうの・・・。賛成の反対なのだ(バカボンのパパ)。

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