2008-10-27

342 ここまでやるか16歳 28-10-2008(火)

 今週もまた先週に続き必殺丸出しパフォ-マンス実話。もっとも、良く考えればスペイン週間コルムナは毎週必殺丸出しパフォ-マンス実話な訳だが・・・。
 少々の事件では驚かなくなってしまった極悪世紀末社会は日本もスペインも同じこと。しかし、先週は久々にスペイン中が口あんぐり。何曜日だったかは忘れたが、何と筆者の地元グラナダ市在住の16歳の少年がパパのクレジットカ-ドでネットギャンブル。こともあろうに短期間で48000ユ-ロ摩ってしまった(← こんな漢字だったのか)。いくら最近急激な円高ユ-ロ安とは言え、換算すれば約590万円。
 息子も息子だが、パパもパパだ。日本が誇る天才バカボンのコンビを凌いでいる。この国では薄汚いヒッピ-を麻薬所持の現行犯で捕まえてみると、弁護士や建築士のパパからもらったVISAカ-ドを持っていることがたまにあるそうだが、ま、この類だろう。あるところにはあるもんだが、親もまたバカだ。
 筆者は別に予言者ではないが、この事件を知らずに先週書いた『金は諸刃の剣です。持つべき人間が持たないと自らをも周囲の人間をも傷付けます。』の一句が的中し過ぎて清々しい。金さんの様に矢場のおみつに『当~り~』と言ってもらいたい位だ(← 何のことか分からない読者はお父さんに訊いてね)。

 知恵の正しいことはその行いが証明する。-----或る昔の偉い人

 スペインを訪れる日本人旅行者からたまに『スペイン人は家族仲がいいですね』と言われることがあります。見た目のベタベタだけで判断するとこの様に全く目測を誤りますが、スペインの離婚率は7割。数字は嘘を吐きません。そして、子供は明らかに過保護です(今の日本の子供達もそうかも知れませんが)。少なくとも筆者から見れば気味が悪いほど親は子供に飴だけ与えて、ムチは皆無です。親も金銭物質主義者が大半ですから、良かれと思って何でも買い与え、子供は義務とは何たるかを知らない、権利ばかり主張する旗本のバカ息子みたいなのが多くなります。そう言えば、以前日本の週刊誌で見ましたが、中国語で、一人っ子政策で甘やかされた子供を確か“小神”とか、そんな言い方がありませんでしたっけ? 正にそれです。まさかうちの良く出来た可愛い息子に限って・・・と、クレジットカ-ドの一枚を暗証番号と共に与えた・・・。ま、こんなとこでしょう。
 しかし、筆者にはこのバカ息子の気持ちが分からないでもありません。実は筆者も学生時代スペインに来るためにしっかりバイトに明け暮れましたが、ある時期しっかりパチンコもやりました。負けても負けても次は勝てそうな気がして注ぎ込み、負けが込むとヤケになってもっと注ぎ込む悪循環。そして、性懲りも無くまた翌日も行ってしまう・・・。
 知恵の正しいことはその行いが証明して白日の下に曝け出されます。今回の金融危機がそうだったりして!?  

316 弦に触れれば音が出るマヌエル・ラミレス 28-10-2008(火)

 一ヶ月ほど前マヌエル・ラミレスのギタ-を入手しました。入荷ではありません。これは売りません。
 今はほとんど総て他人任せでギタ-を作らせるギタ-販売業者になってしまった、あのホセ・ラミレスのご先祖様です。1866~1916年ですから、日本的に言えば江戸時代末期から大正時代初期の名工です。
 今でも有名製作家の工房では先生本人とその補助工員が先生の名前でギタ-を作っている工房があります。中々日本語に成り難いのですが、21世紀の今日弟子と言うことばは当てはまらないでしょう。先生作の手工ギタ-など数が知れて高価ですので、大衆ギタ-用にこうした職工達がより安価なギタ-を作っていた(いる!?)訳です。
 ただし、ここがスペイン人の悪い癖で、先生は全くタッチしていないのに先生のラベルを貼る伝統は今も生きています。サインさえする先生もいます。
 マヌエル・ラミレス工房もこんな感じだったのでしょうが、さすがは明治の気骨製作家、先生はラベルは自分のラベルでも、自分の製作しなかったギタ-には決してサインしませんでした。ここが節操の無いダリとは違うところです。スペインの国営テレビ番組に拠れば、ダリは晩年高弟に模造品を描かせ、サインだけしてぼろ儲けしていたそうです。今もこう言うスペインギタ-が市場にはあります。日本で何とかモデルと称されているものに多い傾向です。
 さて、実は筆者はこの手のマヌエル・ラミレスラベルのギタ-を15年位前から既に持っていました。今回は2本目です。(この項続く)

2008-10-20

341 必殺丸出しパフォ-マンス 21-10-2008(火)

 先週アメリカのロサンゼルスで経済学を学んでいると言う日本人旅行者がやって来た。やはり、向こうは震源地だけあって今回の金融経済危機で社会は大混乱に陥っているとのこと。
 曰く、金融経済社会なんて所詮おそらくあるだろうとの将来の儲けを基盤にしたビジネスだそうだ。結局は先物取引の犯罪行為か!?
 この男性は30歳位だが、日本の金融業界の同世代で年収何千万円の連中を何人か知っているとのこと。皆でキャバクラの請求書を見せ合って誰が一番金を使ったか自慢し合っているそうだ!? これでは週末ディスコで男漁りをして、寝た男の数を自慢し合うスペインの貞操観念氷点下女どもと何ら変わりは無い。

 大酒飲みとむさぼり食う者とは貧しくなる。-----或る昔の偉い人

 年収何千万円とは思わずたじろぎますが、金は儲けた額ではなく、いかに儲けたか、そして、それをいかに使うかがより金の本質です。人生総てにおいて量より質の原則は金の分野でもまた大原則なのです。
 そして、やはり、金は諸刃の剣です。持つべき人間が持たないと自らをも周囲の人間をも傷付けます。この男性に『連中の中には結婚している人もいるでしょう』と訊くと、『ああなったらそんなの関係ないですよ』と訳の分からないお答え!? なるほど、こんなんじゃあ天罰が下らない方が摂理に反します。 
 問題は我々一般庶民も天罰のおこぼれを頂戴せずにはいられない今日この頃の物価上昇だったりして!?
 天罰を回避する方法は・・・。簡単です。天の摂理に毒衝かず、従えばいいだけの話です。金銭の扱いとて同じことです。

315 左手&右手各指の独立性を歌心で総括(3) 21-10-2008(火)

 少し先週の補足です。先日いつもの曲を弾いていました。途中C7のコードを押さえて小指でSi♭~Solのスラ-の部分に差し掛かった時、何気なく弾き終わってからすぐに『あれっ』と言う不意を突かれた様な形容し難い、しかし、確かな感触に見舞われました。何年間も弾き慣れた何でもない箇所でしたが、小指だけ何気なくスラ-する間他の指は弦を押さたまま休んで微動だにせず、弾き終わってすぐに今まで一番小指に力が入っておらず、音も大きかったことを実感しました。それ故先週のコルムナだった訳です。
 最近各指の独立性についてのコルムナを書いていたことが意識の根底にあったが故の偶然の産物だったのかも知れませんが、正にサイドブレ-キの束縛が解けるとはこう言うことかと言う体験でした(先週のコルムナ)。
 いつかも書きましたが、ギタ-上達の過程は指の鍛錬ではなく、指からの解放です。指のしがらみを解いてやること。これが独立性です。
 筆者は昔imのスケールでmが跳ね過ぎるので、maを輪ゴムで巻いてi‐maと交互に弾く練習をしたことがあります。無理矢理mが跳ねない様にした訳です。また、読者は何か指の悪い癖を矯正するために敢えて何らかの指の機械トレ-ニングや基礎練習をしてはいないでしょうか?
 指に問題が起きる時、指だけをいじることはギタ-演奏の大局から言えば視野が狭過ぎます。何より『指が指が・・・』と思い込むことで、無意識に指に更にサイドブレ-キを掛けてしまう全く逆の結果になってしまうことも多いのではないでしょうか? そうなると各指の独立性どころか、逆に金縛りです。
 それでは、指に絡みつくサイドブレ-キの束縛を解くには・・・。繰り返しになりますが(コルムナ311&312)、ある意味簡単です。指のことなど忘れること。考えるから余計にダメなのです。
 嫌な過去はうじうじ思い出して悔やむより、ある意味忘れる方がいいとすれば、それは指も同じこと。歌心に集中して指を忘れれば、ある時小指は何気なく勝手にSi♭~Solのスラ-をしてくれているはずです。名人達人は総てがこんな調子かな、などと今回思ったりもしました(同91&212)。
 読者の歌心ほどに読者の指は独立性を得て、読者の歌心ほどに勝手に動いてくれます。無理に動かそうとしないことです。
 来週からは別のテ-マでコルムナして行きますが、ギタ-に限らず弦楽器鍵盤楽器を奏でる以上、常にこの歌心で各指の独立性を心がけて下さい。複雑な箇所ほど、速い箇所ほど各指の独立性がなければ指は随いて行きはしません。指より歌心を鍛えて、歌心で指の束縛を解いてやって下さい。

2008-10-13

340 沿うか反るか 13-10-2008(火)

 連日の株価大暴落と世界的金融危機のニュ-スが毎日幅を利かせているのはこちらでも同じこと。てっきり人事かと思っていた呑気なスペイン人達も火の粉は実は自分達の頭上にどさっと降って来ていることにどうやらやっと最近気付いたらしい。先週土曜日も偶然街でばったり会った知り合いの妹が先週コルムナしたSPARで働いていたが、倒産店閉まいで家のロ-ンが払えず途方に暮れているとのこと。今後この種の倒産、失業、夜逃げ、差し押さえ、サラ金地獄など、どさっと出て来そうなスペイン社会である。そんな中先週読んだ次の新聞記事が目を引く。
 これで何より金融資本主義の時代が終わる。これまでは金融経済が実物経済を支配して来たが、これからは実物経済が主役に戻る。そこで評価されるのは、真面目にきちんと社会の役に立つ製品を作る企業である。
 一見典型的なお堅い経済欄の記事で、取っ付き難く読み流してしまいそうだが、実は世界恐慌にもなりかねない今回の世界的金融危機の原因と本質をズバリ突いている。
 まず、経済には実物経済と金融経済があり、それはあたかも昔中学校の理科の授業で実験した実像と虚像の如くでもあり、またスペインの夏の風物詩、辺り一面のひまわり畑の実と花の様でもある(コルムナ320&321)。また、良かれと思って結婚して7割は離婚に至る現代スペイン人の様であるとも例えられる(同288)!? 
 要は真面目にこつこつ働いくことが実質経済で、物欲しそうな作り笑顔で無い袖を見苦しく振り回す錬金術が金融経済と言う訳だ。

 私達は真理に逆らっては何も出来ず、真理のためなら何でも出来るのです。-----或る昔の偉い人 

  人生出来様として出来ないことなど嫌と言うほどあるものです。しかし、広い意味でその根本原因は突き詰めれば真理に沿わず、真理に反っていたから出来なかったとは言えないでしょうか? ましてや金銭欲に沿って生きている人が花と実を取り違えて収穫の実を得ないのもこれまた逆説の真理です。
 この記事後半もまた真理を突いています。真面目にきちんと社会の役に立つ製品を作るのが実物経済であり、そうでなけりゃ、結局社会のお役には立たない、金儲けだけが目的の不真面目商品だと言うことです。そう考えれば、人が住むための住居は真面目商品で、必要ない住宅をどんどん建てるのは金融経済のサクラです。
 しかし、動く金がデカイから不動産マネ-ゲ-ムだけが槍玉に挙げられますが、住居に限らず、売って金が儲かればそれでいいと言う不真面目商品ならスケ-ルの大小を問わず巷を席巻している資本主義社会の現状を鑑みれば、スケ-ルの違いこそあれ、これもバブル、あれもまたバブルだと言えます。
 真面目にきちんと社会の役に立つ製品を作る企業・・・。当たり前のことが当たり前の如く幅を利かせて欲しいものです。真理とは当たり前のこと・・・。当たり前のことです。
 果たして私達は家庭学校職場地域社会で真理に沿っているでしょうか、それとも反っているのでしょうか? 反れば天罰だとすれば(同328&329)、これは考えても損はしません。

314 左手&右手各指の独立性を歌心で総括(2) 14-10-2008(火)

 左手でC7を押さえて、小指だけ動かしてSi♭~Solのスラ-(もしくはハンマリング)を繰り返してみましょう。一見簡単ですが、小指だけ動かして後は総て休んでいるとなると結構難しいものです。
 復習になりますが、“左右両手各指の独立性”とは、最後は歌心に帰着する訳ですが、それは“右手も左手も使っている指以外は徹底的に休んでいること”です(コルムナ247)。
 あの頃のコルムナ(同245~250)ではCを押さえて中指だけのハンマリングを例に取りましたが、今週似た様なC7の小指を例に出すのは、この両手各指の独立性をコルムナしながら、最近筆者自身このC7における小指が軽くなった、独立性が養われた、残り3本の指は弦を押さえたまま休んでくれて小指だけ最小限の力で動いてくれている、と言う実感があるからです(同250&251)。 
 出来てから気付くことは、何も独立性と言われたから独立性を目指して各指を鍛錬するのではなく、意図的に力を抜こうとするのでもなく、ある時ふと我に帰ると、小指だけ何気なくスラ-(ハンマリング)していた、力は全く入っていないけど大きな音が出ていた・・・。これが理想じゃないかと言うことです。するのではなく、やってしまっていたこと。すると言う私が主語の現在から未来への意志ではなく、『ありゃ、いつの間にか出来てしまっていた』ことです。
 ある意味無責任ですが、この意識無意識が意外と鍵だと今回自ら学びました。指は意識すればするほど独立性を失い、歌心に集中すれば無意識の内に指のことは忘れて勝手に独立性してくれます。
 責任感の強い人ほど真面目で、私が私の指を何とかしようと思い込んで、遂に指の独立性とは無縁のギタ-人生を送ってしまう・・・。意外やこんな人が多いとすれば、日本人の生真面目さはむしろ自ら進んで自らを束縛するサイドブレ-キです。
 何年か前に書いたと思いますが、アクセルを踏み込んでも車が動かない時、それはエンジンや運転技術が悪いのではなく、サイドブレ-キが掛かっていることに気付かず無理にアクセルをふかせるからオ-バ-ヒ-トします。同様に指が指が~と考え過ぎることが精神的束縛となり、指には却ってサイドブレ-キが掛かり、その上生真面目に無理矢理アクセルを踏み込めばギタ-人生も燃え尽き症候群です。
 歌心に乗って指を忘れれば、ある日急に『え、たったこれだけのことだったのか』とサイドブレ-キの束縛から解放された独立性に気付く・・・。意外とこんなものかも知れません。
 中々指が言うことを聞いてくれない読者の皆さん。指自体ではなく束縛のサイドブレ-キこそ問題じゃありませんか。そんなもの歌心で無意識に外せば指は解放されて独立性を得ます。

2008-10-06

339 呪いのス-パ- 07-10-2008(火)

 その昔筆者が学生時代名古屋にいた頃、確かSPARと言う名のス-パ-のチェ-ン店があったはずだが、読者の地域ではどうだろう。実はスペイン南部にもある。もちろん、名前だけの偶然の一致だが、ただし、正確にはつい最近まであったと言った方が当っている。
 もう3ヶ月前の話になるだろうか。世界中で原油が高騰し、日本でも漁船が漁に出るだけ赤字になるので漁を取り止めたニュ-スはまだ読者の記憶にも新しいだろう。こちらヨ-ロッパではトラックなど陸上輸送業界が一斉ストで政府にガソリン税優遇などの特別措置を迫った。ストが長引くに連れ各業界共品薄となり、庶民にとって一番顕著だったのは日常生活品を扱うス-パ-の陳列棚だったのかも知れない。筆者には猫の砂がないのが一番堪えた(日本語情報センタ-に5匹!?)。
 それでも10日程でストも収まり、事態は沈静化して行ったと記憶している。徐々に市内各ス-パ-にも元通り商品が揃って来た。ところが、このSPARだけは何故か何週間経ってもスト当時より少しはまし程度にしか商品は戻らなかった。やる気あんのかとか思ったが、毎週のコルムナでお分かりの様に、元々余りやる気はない民族なので、筆者も大して気にはしなかった。
 そうこうする内に、一ヶ月位前になるだろうか、日本語情報センタ-の真下をあるデモ隊が通って行った。総てのデモ隊はすぐ横の市役所前広場に集結して気勢を上げて行くので、それ自体は珍しくも何ともないが、今日は何の騒ぎかと3階の窓越しに良~くプラカ-ドを見ると、SPARの従業員達のデモだった。結局ずさん経営でいくつかの卸売業者が借金を払うまでは商品を卸さないことに不安を感じた従業員達が経営陣に一体どうなっとるんじゃと詰め寄ったらしい。
 結局SPARはまもなく倒産店閉い。従業員達は・・・当然失業して失業保険だろう。

 逃げる雀の様に、飛び去る燕の様に、いわれのない呪いはやって来ない。-----或る昔の偉い人

 ニュ-スなど見れば原因はあくまでずさん経営であり、今日の世界的不況の犠牲者と言う訳ではなかった様ですが、それにしてもよりによって筆者が29年前最初にスペインに来た頃から買物していたス-パ-が潰れるとは。これも時の流れかも知れませんが、単に時の流れだけで逃げたり、飛び去ったりするほど雀さんも燕さんも薄情ではないはずです。人間と違って、動物には悪い奴も悪女も一人もいないのです。
 いわれのない呪いもいわれのない吉事も一つもないはずですが、何でもない普段平素からのいわれこそ惰性に流さず留意していなければ呪いの方が多いのが世の常でしょう。少々のことなら反省して踵を返せばやり直しは利くかも知れませんが、不渡り倒産で再起不能だとすれば、やはり雀も燕も永久に去って行ったのかも知れません。 

313 左手&右手各指の独立性を歌心で総括(1) 07-10-2008(火)

 それでは逆に左手&右手各指のの独立性が養われれば何が一体どうなるのでしょう? 筆者は一年以上前からこの点についてコルムナしながら自らの指を観察して来ました。
 何より指が勝手に弦を押さえ、勝手に弦を弾いてくれる感触があると言うことです。多くの人はどうしても私が私の指を鍛えて、私が私の指で弦を押さえて、私が私の指で弦を弾くのがギタ-じゃないかと何の疑いもなく思い込む傾向にありますが、上手い人は皆指に勝手に弾いてもらって本人は楽をしているのです。
 それでも上手い人を評して『良く指を動かしますねえ』とは言わず、普通は『良く指が動きますねえ』と言います。日本語のあやもあるでしょうが、実はこの自動詞他動詞の違いがギタ-人生の分岐点の図星を無意識の内に突いているのです。ところが、無意識の内に真理をど突きながら、続いて『一体一日何時間練習すればそんなに動く様になるんですか?』とか指の筋トレに違いないと勝手に確信し、結局何も分かっていなかったことを暴露してしまいます。
 指の筋トレモ-ドに入れば入るほど腱鞘炎になります。おかしな癖が付きます。何より指の独立性を失います。指自体は却って考えないのが一番なのです。スペイン人フラメンコギタリストは楽譜が読めないので教則本に書いてある基礎練習など一切しません、と言うか、基礎練習と言う概念が頭から存在しないのです。筆者の知り合いのプロは家にギタ-さえありません!? また、指自体をそんなに気にする人はいません。だからこそ指の独立性が無意識の内に養われて指が勝手に弦を押さえて爪弾いてくれるのです。
 筆者の場合、同じ曲でも気分(歌心)が乗っている時とそうではない時は指の軽さ(独立性)が違うのが分かります。要は歌心です。